「フラガール」を観て来ました(←遅!!)。
私のじいちゃんは、2人とも炭鉱で働いていた人。
一人は、常磐炭鉱で働いていました。
(常磐炭鉱というのは、北茨城~福島県いわき市(福島南部)にまたがっていて、
私のじいちゃんは北茨城側にいたので、「常磐ハワイアンセンター」立ち上げには
おそらく関わっていないでしょう。
生きていたら100歳越えているので、年齢的にも関わっていないだろうが・・・・・)
ああー「常磐ハワイアンセンター」ってこんなだったよ~(小さい頃よく行った)。
流れるプールが画期的でさあ~。
冬でも入れるプールが画期的でさあ~。
プールの横にあるおばけ屋敷が妙に怖くてさあ~。
(映画ではそんな細かいところ流れないけど。外観見てたちまち懐かしくなった。)
東京で雑貨屋を営んでいたのに、東京大空襲で一家疎開することになって、炭鉱に
勤めたというじいちゃん。
いつの日からか毎日毎晩酒を飲むようになり、若くして亡くなってしまったじいちゃん。
優しくて、寡黙で、ほとんど昔話というのをすることがなかったじいちゃん。
私がものごころついた時は既にご隠居さんだったおじいちゃん(こちらは90過ぎまで
長生きしてくれた)。
今思えば、もっとじいちゃん達に昔話を聞けば良かったなあー・・・・・・・
(じいちゃんが、話したくなかったのかもしれないけれど。)
炭鉱が閉山になる頃、ハワイアンセンターができる頃、じいちゃんはどんな渦中に
いたんだろう。
松雪がどう、とか、しずちゃんがこう、とか、そういうのより、なんか↑こういう感慨に
ふけってしまって、妙な感動をしましたよ。
おぼろげな気持ちで、なんだかうまく文字にできないのだけれど。
訛りも、北茨城といわき辺りはほぼ変わらないので、ふるさとに帰ったようでした。
(旦那は、「字幕が欲しい・・・」と言っていました(笑)。
驚いた時とかに「なんだっぺ、なんだっぺ」って言ってるシーンを見て、「びーとと
一緒だ・・・」とも言っていました・・・・・・。)
私の年でこんなことを思うのだから、親が
「懐かしかった!良かった!」
と絶賛していたのも納得というものです。
(聞いたら、親も炭鉱時代の生活はほとんど覚えていないそうですが。
いわき側にいたら母ちゃんフラガールになってたかもよ・・・・・・・・・?
父は銀行員だったので、それなりにハワイアンセンターにも関わっていたらしい。)
私のじいちゃん、トヨエツだったかも(違)。